意識障害になった母(4)

夜9時に電話をかけてきたナースによると、血圧60前後、心拍50。

血の気が引く思いとは、まさにこのことを言うのでしょう。

隣で電話を聞いていた息子(高2)も「一緒に行く!」と。

主人も一緒に行ってくれました。

タクシーの運転手さんには「金額云々(うんぬん)より最短で行ってほしい」と伝えました。

タクシー屋さん、飛ばしてくれました!

時間にして30分程で着きました!

タクシー代、約1万5千円。

ナースステーションに着き、電話をかけてくれたナースと対面。

「回復できる可能性はゼロではないんですよね?」と確認してみました。

「ゼロではないです。」との返事。

病室で母の頬を触ってみました。

意識障害で施設から緊急電話が来た時よりはるかに冷たい頬でした。

あの時より血液が巡回していないのでしょう。

私は「完全に冷たくなってない!」と自分に言い聞かせるのが精一杯でした。

大部屋だった病室を個室に移すことになりました。

そのおかげで周りを気にせず母に話しかけることができました。

私は母の左側で、左手を握って話しかけました。

息子は母の右側にいました。

私と息子で話しかけました。

母は答えてくれます。

母が何かを訴えています。

(なんだろう?)

息子に❝右手を握っててほしい❞との事でした。

息子が右手を握り、私が左手を握りました。

主人も母に声をかけてくれました。

我が家が勢ぞろいしてくれたことは理解してくれたようです。

基本的には息子と母で会話していました。

母はここ最近聞いたことないくらい大きな声でしゃべっていました。

30分位経っただったでしょうか?

母は疲れてきたようでウトウト寝始めました。

ナースに声を掛けました。

母の血圧が100まで戻ってきているという事でした。

ナースが母の容態が安定してきたことを確認をし、私たちは帰ることを許可されました。

私たちがベッドから離れようとしたその時でした。

ピーー、ピーー、ピーー!

何か警告音が鳴り始めました。

一瞬ヒヤッとする私たち。

母がつけていたパルスオキシメーターの音でした。

指からズレてしまったので鳴り出したのでした。

私が母の胸元を整えたので、その時にずれてしまったのかもしれません。

今回の母の回復の原動力は、孫パワーだったような気がします。

もちろん病院の皆様が最善を尽くしてくださったことが第一であることは忘れてはいけません。

帰りは電車で帰ったので、帰宅した時は夜1時を過ぎていました。

【つづく】

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