母、逝去

2025年12月18日(木)

夜明け前、家の固定電話が鳴りました。

老健からでした。

❝母が息をしていない❞と。

頭の中が混乱する私。

説明によれば、おむつ交換をしようとしていたところ息が荒く、やがてそのまま息をしなくなったそうです。施設医が6時30分頃到着予定ですが、来られますか?と。

今が何時何分かもわかっていない。聞くと4時50分位だという。「6時30分ごろに行けると思います」と伝えました。

息子(高2)と一緒にタクシーに乗りました。

道路がすいていたので、6時頃に着くことができました。

母のベッドに着くと、顔に白い布がかぶせてありました。血の気が引きました。白い布をそっと取ると昨日とは別人でしたが、笑っている顔でした。顔色も良く、、、と思ったら綺麗にお化粧をしてくださっていました。

腕を触るとまだ少し温かかった。

「おばあちゃん」

そう声を掛けました。その後どう声をかけたか覚えていません。ただどうしても言いたかった言葉がありました。「生んでくれてありがとう。こんな可愛い孫も生まれたよ。見守っていてね。」息子も「ありがとう」と声をかけてくれました。「おじいちゃんに会えた?おじいちゃんと仲良くね。」

出勤時間してきたスタッフさんが、母の訃報を聞き、何人もの人が入れ代わり立ち代わり手を合わせにきてくれました。

不思議なことに私と息子で泣いたり笑ったりしながら母に話しかけていると、面白い話をした時二度ほど、母が笑ったような気がしました。まだ頭上で私たちの会話を聞いているって本当なのかもしれません。

瞬間に立ち会うことはできなかったけど、昨日たくさん手を握って写真や動画を撮っておいて良かった。

瞬間に立ち会うことはできなかったけど、瞬間は一人でなく、施設のスタッフさんが見守ってくれた。

この時の二人のスタッフさんに沢山お礼を言いました。

詳しく話を聞くとおむつ交換に来た時に呼吸が荒かったのだそうですが、それがすーっと静かに止まったので、バイタルチェックをしたそうです。最期の瞬間まで何か話していた(話しかけてくれた?)けど、聞き取ることができなかった、と。嚥下が機能しないこの数日の母は、ほとんど声を聞き取ることができなかったので仕方ないです。私もほとんど聞き取れなかったもの。

その他お世話になったスタッフさんひとりひとりにお礼を言いました。スタッフさん達から言われたのは❝いつも私たちに笑顔で接してくれたんですよ❞ ❝いつもありがとうって言ってくれたんですよ❞ 

母がスタッフさん達に愛されていたのがわかる時間でした。

10時頃、兄の家族が到着しました。兄の家族は元々今日午前に母の面会に来る予定になっていました。私が4時55分に送った一報で予定より早く家を出たそうですが、道路が混んでいてこの時間になってしまったそうです。

兄家族が母と対面した後、葬儀場へ連絡を取り、車が来たのは12時頃でした。

母は日常過ごしていた窓際のベッドで、今日夜明け前に息を引き取りました。霊安室に行くことはなく、暖かい日差しを浴びながら午前中をゆっくりベッドで過ごしました。暖かな日差しが差し込む昼間に、施設長始めお世話になったスタッフの皆さんが10人程見送ってくれました。

母、逝去

2025年12月18日(木)

午前4時32分息が止まる

午前6時35分ドクター死亡確認

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