2020年11月11日

父の葬儀

   

父の葬儀は

2020年10月31日(土)に執り行われました。

家族の他に甥、姪が5〜6名

そして父の小学校からの友人1名の

アットホームな葬儀でした。

父の棺の上には

父が愛用していたたくさんの帽子が並べられました。

 

葬儀の最後

父と最期の対面の時。

棺の中の父は

たくさんの花に囲まれたのはもちろんなのですが

私や母が持っていったたくさんの写真

父が愛用していた洋服も入りました。

(洋服は、父があの世でお着替えできるように!って

息子(小6)が言っていたのを母に伝えたら

母が何着も持ってきました。)

 

棺にそれらを入れている時でした。

息子が

「おじいちゃんが一番気に入ってた帽子どれ?」と聞いてきました。

「(棺の中の)おじいちゃんに帽子を被せてあげようよ!」と。

母に聞いてみましたが、

「全部!」

と答えたので(^◇^;)

私が独断で棺の上に置いてあった帽子の中から

キャップを1つ選んで

父に被せました。

 

本当に

まるで

生きていた時の父の顔になりました!

認知が入っていても

出かける時は

必ず「帽子!」「帽子!」と

帽子を被りたがった父。

あの世に行くときも帽子を被っていってね!

棺の上にあった残りの帽子も全部棺の中に入れました。

 

数年前、

もう認知が入っていた時ですが

私が被っていた帽子を父がとても気に入って

「その帽子、良い帽子だな。幾らぐらいするんだ?」と

いつもいつも聞いてくるので

「そんなに気に入ったならあげるよー。」と

父に譲ったキャップがあるのです。

壊れるまで使い古してくれたそのキャップ。

私にとっては思い出のキャップ。

それも棺の中に入れました。

 

父の小学校からの幼友達が父にたくさん話しかけていました。

戦争中は一緒に学童疎開に行って

苦しい時、辛い時を共にし

戦後もずっと仲良く交流を深めた友人。

友人歴、80年近くになる事でしょう。

ずっとずっと父に話してかけていました。

 

母が「お父さん、ありがとう!」「ありがとう!」と連呼していました。

近所でも評判のオシドリ夫婦だった両親。

いつも一緒に旅行に出掛けていました。

国内旅行も海外旅行もいつも2人一緒だった。

よく喧嘩もしていましたよ。

父が認知症になってからも

よく喧嘩していました。

でも

翌朝

「昨夜は悪かったな。」って

父が謝るんだって。

喧嘩するほど仲が良かった両親だった。

 

棺の蓋を閉めるときは

たくさんのお花と父の愛用の品で溢れかえっていました。

「蓋、閉まるかな〜?」

と心配になったのは

私ひとりではありませんでした。(⌒-⌒; )

でも大丈夫!

無事に閉まりました。C=(^◇^ ; ホッ!

 

四十九日は12月14日。

忠臣蔵の日。

日本史が大好きで

歴史に精通していた父らしいです。

歴史について語りだすと

教科書的に書かれている事と事実が違う事があるとかで

よく言っていました。

「一般には●○●○だと言われている。

が、しかし、実際は違う!」

そして、事実の話が始まったものです。

 

葬儀屋さんは

地元の方が経営している葬儀屋さん。

打ち合わせの時も

何十年も前の地元の話で盛り上がりました。

東京のあの地で生まれ育った父。

最期も

地元の葬儀屋さんに見送ってもらうことができました。




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