2020年11月6日

父の最期

   

2020年10月27日(火) 午後1時17分

My father died.

父が亡くなりました。

※※※

10月27日(火)午前2:48 

真夜中に母から電話がかかってきました。

病院から母のところへ電話があり

父の状態が良くないので

至急来て欲しい、と。

母のところからはタクシーで30分程。

私のところからだと

タクシーで高速使って1時間!

マジか!?

母は、真夜中3時45分頃病院に着きました。

私は5時少し過ぎに着きました。

(タクシーで高速使って行きました!)

 

私が着いた時

父は危篤のような状態ではなく

結構安定していました。

しかし

母がついた時は悪い状態だったそうです。

でも母が着き

母が父に声をかけ始めると

父の容態が安定していったのだそうです。

まさしく

愛の力です!!!!

 

その後父の容態は安定していたので

母は7時頃

一旦自宅に戻り

10時過ぎに病院に戻ってきました。

酸素マスクをしているおかげとはいえ

熱が38度もあるとはいえ

ある程度安定した状態が続いている父。

 

昼過ぎに

九州に出張中の兄からメールがきました。

母が夜中に兄にも連絡をしていたので

心配して連絡をくれたのです。

 

午後1時8分

母が病院に着いた時は状態が悪かったが

母の声かけで安定してきた事。

今もその状態をキープしている事を連絡しました。

私と母はずっと父のベッドサイドに座り

母に兄からメールきて

今安定していると返信した旨を伝えました。

それからまもなくだろうか?

父の酸素濃度が低くなり始めた。

看護師さんがやってきて

あれこれチェック。

心拍も弱り始めた。

看護師さんから

父の最期が近いことを告げられた。

でも今ならまだ聞こえてるから

声をかけてあげてください、と。

私は顔を向こうに向けていた父の正面へと回り込んだ。

「おじいちゃん!」

「ほら、○○も応援してるから!」

息子の写真を見せると

父はじーっと見つめていた。

母が来た。

母の姿を見ると

父は

大きく目を見開いて

大きく口を開けて

母の姿を見て喜んだ。

大きく開けた目元は

泣き顔のようになった。

母の姿を見て

嬉しくて仕方がない父。

母の姿を見て

安心したのだろうか?

またいつもの

寝ているような表情になった。

この時心拍は30台。

ヤバイ!!!

おじいちゃんの様子を見たり

心拍を確認したりしている私。

母はずっと父の顔をさすりながら

声をかけ続けている。

看護師さんに

心拍がゼロになったことを告げられた。

 

いつものように寝ている父。

声かけを続けている母。

心拍を確認したり

父の様子を確認したり

キョロキョロしている私。

 

ついさっきまで

モニターには

数字が並び

折れ線グラフのようなものが動いていたのに

今は

数字は0だったり

計測不可能のような表示だったり。

全ての折れ線グラフも真横一直線になった。

 

ずっと父に声をかけ続けている母に言った。

「おじいちゃん、死んじゃった。」

 

それでも怯む(ひるむ)ことなく

声をかけ続けている母。

信じたくないのかもしれない。

 

母は突然叫んだ。

「お父さん、(私を)迎えに来ちゃダメだからね。私はまだ長生きするんだから!迎えに来ちゃダメだよ。

 

母は、

少し薄めを開けている

父の目を閉じてあげようと

必死になった。

父の口を閉じてあげようと

必死になった。

 

喧嘩しながらも

仲良しだった父と母。

 

死ぬ間際

母の姿を見て

表情が一変した父の最期の笑顔。

私は一生忘れないだろう。

 




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