去る6月14日。
この日、
私と主人は生後約55日の息子を連れて
最寄の神社にお参りに行った。
お賽銭は20円。
10円は、
息子の健康と
家内安全を祈って。
もう10円は、
流産した子の冥福を祈って。
昨年6月14日
流産の手術をした。
手術した日の夜
私は泣いて、泣いて、泣いて、泣き崩れた。
やっとやっと授かった小さな命と
さよならした日だった。
しかし
流産したすぐ後
今の息子を授かった。
だから
あの子が産まれていたら
今の息子はいなかった。
でも考え方を変えたら
あの子の生まれ変わりが
今の息子なのかもしれない。
息子の寝顔を見ながら
そっとつぶやいた。
「産まれてきてくれてありがとう♪」
2008年6月16日
去る命と産まれくる命
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2008年6月17日 10:42 PM
コメントしながら涙しています。我が家でもよくかわいそうだったfirstさんのあの頃を思い出し、また、さらにジュニアちゃんがうまれてきた喜びを話すことがあります!
あの頃、つらさにたえたからこそ今があるのだと思います。
2008年6月24日 11:48 PM
◇テディさん◆
※返事が遅くなり申し訳ありません。
記事には書きませんでしたが、
今年6月14日は主人の両親が初めて息子と対面した日でした。
主人の両親は、都合で今まで息子(孫)と対面できずにいて、待ちに待った対面の日でした。
そこには沢山の笑顔がありました。
流産の手術を受け、泣き崩れたのは昨年6月14日。
一年という月日や命の尊さっていうのかなぁ~。
うまく言葉に表せないのだけれど、流産した子と今の息子はやはり何か繋がっているのかもしれません。